石碑やモニュメントなんかを見かけると、
ぽろぽろと面白い話が出てくる出てくる。
妄太郎も調子こいて興味深いものを見かけてはご報告する。
大阪城と軍事関係はとても深い関係なのでそういうお話をいろいろ。
(大阪城北詰側から大阪城に向かう途中に見える水門も
大阪砲兵工廠だった時の荷揚門だったものだと後で知りました。
またちゃんと勉強してから大阪城行きたいなぁ)
駅についてから大阪城へ向かって歩いている時ですら
こんな感じで話が盛り上がる。
無知な妄太郎はほうほういうしかないのですホウ。
この日、鷹匠さんの練習があったらしく、
極楽橋のあたりで憩う鷹さんやハヤブサさん。
字書きさんは早速鷹匠さん方に声かけを。
スゴイ。私はスルーする気満々でしたけど。
だってミリタリー着てたり腕ごっつかったり
ちょっと怖かったんだもんよ!
実際はその人よりも専属カメラマン?のようなおじさんが
いろんな話をしてくれました。
これは鷹、これはハヤブサ、で、そこにいるのがハゲワシと
紹介されたのは公園掃除のおじさんでした。
ぬかりないな、さすが大阪やで。
鷹の握力は50kgあって鷹匠さんの腕に穴が開いたらしいぞ!
字書きさんは信も鷹狩りが好きだったけど腕に穴が開いてたのかなぁと。
私は開いてたと思う。個人的には眉間に血管浮かせながらも
「愛い奴じゃ」とか言ってて欲しい。
有能な奴には一回目の失敗には寛容な信っていう妄想。
字書きさんはそんなことしたら
鷹の首斬られてそうと笑ってらっしゃった。
ハヤブサはどこぞの国で150万で買えるそうですぞ!
この日は寒かったから止まり木にいる時、羽根を膨らませて
モッフモッフになっていました。とても美しい毛並み!
妄太郎は「ハヤブサって空の上でぐーるぐる回ってる……」
とかボケたこと言って「それはトンビですね」ってつっこまれました。
調べたら大阪城ではたまに鷹匠さんの
イベントをやっているみたいですな!
デビュー前の子とかの練習だったのかな。
大きさはハトくらいじゃなかろうか。
すごくちっちゃくて可愛い子もいたぞ!
なんて種類の子だったんだろうな。
私が一番字書きさんと見て回りたかったのが
大阪城の刻印石広場。
いろんな土地からいろんな大名が運び込んだことが
広場にあるプレートで説明されています。
字書きさんの故郷からもあったようで喜んでもらえた。
ちなみにこれは丸十と扇で「とよいち」を意味する刻印……
ではなくて「前田家 家臣の刻印」ですな。
大阪城内はものすごく人が込んでてびっくり。
海外の人がメチャ多かった。
展示物がこの日、文禄・慶長の役関係のお手紙とかが多くて
ちょっとうれしかった。
直接島津がどーのこーののお手紙はなかったけど、
本当にこういうことがあって、どういう思惑があってとか考えると楽しい。
ちなみに文禄・慶長の役は四国や九州の力を弱める為に、
その財力を食いつぶす為に行われた説もちなみにありますぞ!
当時の軍船模型の前で「島津もこういう船に乗ったのかな」とか
ボケたこと言いますと、日本一の大遅参があったことを言われて
ああ!とうなずく。
字書きさんいわく、とある本には
「ウソかホントか、乗った漁船の名前は
牛丸と子牛丸というらしいですよ!」
とのこと。名前のかわいらしさに笑う笑う。
帰りには一息ついたところでトリュフ入りの缶スープを発見。
一つ200円。意外な商品に大笑いしながらも、
これも意外なことに美味しかったのでお土産に一つ買って帰りました。
あとはもうひたすら夜遅くまで語り明かしました。
お豊は甘党だとか、エルフは肉食に違いないだろうけど、
ドワーフが意外と草食だったらおもしろいだとかいろいろ!
あっという間に時間が過ぎた一日でした。
そんな感じで大阪城フラフラババーンは名残惜しくも終了!
字書きさんのお話は面白いので、またどこか史跡巡りを
ご一緒できたらいいなと思うのでした。