基本めんどくさがりで、単純な文章好きの妄太郎さんが
自分の作品のスタイルについてうだつく。
基本、私が作品をアップする時点で、その考え方は
過去のものになっている場合が多いです。
どういうことかっていうと、
「私はこう思うなぁ」とか「こうだったらいいなぁ」と
思ったことを作品にしていくわけなんですけども、
大体書き上げた時にはその考え方に満足してしまっていて、
もうすでに違う考え方にシフトしている場合が多いのです。
作品を書いてる終盤あたりになるともうそれが顕著で、
「これはこういう終わり方をする」と決定した時点で
もうすでに次の作品の構想に入ってますwww
基本飽き性っていうか。
作品は私の模索するために通った道なんです。
私の好きな人の言葉にこういうのがあります。
私が書く行為は冒険のようなものだ。
その冒険が私をどこへ連れてゆき、終りがどうなるのか、
私自身さえ知らない冒険です。
だから、どの本を書いた後も私自身が違う人間になりました。
『ものがたりの余白』―ミヒャエル・エンデ
まぁちょっと違う言い方になりますけど、私の書いた話は
過去の私の産物であり、今の私のものではなくなります。
だから、過去の私に戻りでもしない限りはその作品に対する
何が書きたかったかの本当の意味は説明できないです。
だから私は自分の書いた作品を「抜け殻」だと思うと言っています。
どれだけぴったり着こなそうと思っても、もう着こなせない抜け殻。
「そんなことあったなぁ~」は言えても
「こうだよ」としっかりした意見を言えなくなっている。
毎回実験的に意見が変わる。
だからフラフラうだうだのグダグダの妄太郎だというのです。
でもそれはネガティブなことだとは思ってなくて、
自分に意見がちっともないなんて思っちゃいない。
曲げられない芯は持っているつもりです。
でも、その芯さえ疑り深くなれば曲げます。
曲げて新しいものにチャレンジしてみます。
曲がらなければそれは本当に出来上がった芯だと思っています。
あと、私の文章って基本かたっくるしく、
誤解を招くことも多いみたいですけど、
言わせてもらうと、情熱の表れだと思ってもらえればうれしいです。
燃え上がれば燃え上がるほど文章が堅くなるんですwww
あと、本人はわりかし気にしてないけど、新聞的文章体なんです。
やわらかくしたいと努力は一応しているので、
しゃーねーなと笑っていただければと思います…><;;;