ニューロフォリア 迷いを吹っ切るために書く記事。
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迷いを吹っ切るために書く記事。

善と悪ってなに?
本当に悪いことをするキャラを書かないといけないの?
どうして悪にまで惹かれてしまうの?
そういう悩みがあって、二次創作であるのに、
キャラを悪者にしなければならないことに悩んで
筆が進まなかったりするんですけど、
ちょっと答えが出たような気がするので、まとめてみる。
荒木飛呂彦先生がインタビューにて、ジョジョを描く上でのルールで、
悪を寝返らせないとか3つくらい上げているツイートや、
ミヒャエル・エンデさんや哲学者さんが、魅力ある作品は
悪をしっかりと書き上げるものだと言っていることがあります。

しかし、悪は悪、魅力があってはいけないし、憧れてはいけないもの。
なのに悪を書かなきゃいけない。
悪を書くには悪を知らなきゃいけない。
で、悪を書くために悪を調べるほどに深みにおちて、
気づけば自分の道を見失う。
しかも私が書いているのは二次創作。
キャラへの愛を示すためのものであって、
キャラへの嫌悪感を表現するものではありません。

こんなことがあって、私は悪というものに対して悩んでました。
で、悪を書くために調べた悪を書くと、「魅力のない悪」になるんです!これが!
なんというか、悪を好きな人のために書いた悪みたいになっちゃうんです。
ほとんどの人が見ていて気持ちよいものにはならないんです。

で、いろいろ考えていきついたのは、善も悪も、
いわゆる「信念」ではないのかという結論。

善と悪というのは、あくまでカテゴリー、
一時的につけているわかりやすくするための名前であって、
作家さん的には善と悪の対立を書いているんじゃなくって、
「信念」と「信念」のぶつかりあいを書いているんじゃないかなって。

ただ、その名前があやふやだから、わかりやすく仮に
善と悪とつけているんじゃないかなって。

ジョジョ読んでると、悪役にも魅力があるじゃないですか。
彼らの死にざまもまた、どこか感動するものがある。
5部のブチャラティとペッシのところ、どうしてペッシの
間違った信念を貫く姿を見てなお「誇り高い」といったのか。
それは、間違ったものであれ、
「信念を貫く」姿が美しかったからじゃないかなと思ったんです。

「信念」と「信念」は大きければ大きいほど、ぶつかりあいます。
主人公側から見ると、相手側のの信念は「邪魔者」になります。
相手側から見ても主人公たちの信念が「邪魔者」になります。
自分の信念を貫くには、それを打倒さなければならない。
その時にお互いの信念の違いに気づく。それが「間違い」だと思うんです。
そしてその時に「間違い」だと思ったものが、主人公側にとって「悪」になるんじゃないかなと。
そして、主人公側を「善」だと信じて読む読者は、主人公側が「悪」だと言うので、
それを自然と「悪」と読むんじゃないかなと。

それなら、主人公たちが敵を殺したとしても、悪とは思えないし、
悪が人を殺せば、悪になります。
よく言われる、「悪には悪の考えがある!」っというのは、
この「信念」の話なんじゃないかなと思ったのです。

そう考えると、一気に気分が楽になりました。
だって「悪」を書くわけじゃないんですあくまで、
そのキャラが示そうとする「信念」を描くわけですから。

悪いことなんて、何にも書かなくていい!!
そう思ったら、楽になりました。

……長くなりましたが、そういうお話、でしたwww

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大幸妄太郎

Author:大幸妄太郎
ペル2(達淳)・ドリフターズ(とよいち)に
メロメロ多幸症の妄太郎です。女装・SMが好き。
ハッピーエンド主義者。
サークル名:ニューロフォリア
通販ページ:http://www.chalema.com/book/newrophoria/
メール:mohtaro_2ew6phoria★hotmail.co.jp
(★を@にかえてください!)

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