楽土
R-18・豊久×与一/A5/96P/900円過去の楽園、過去の罪、まとわりつくは蛇の化身。
赤き果実を口にした弓手の迷いと、王の覚悟。
己の楽土広げんと、猛き王は拳握りたり。
「僕もおまえも、何もかも、力に振り回されている。獣や草木さえもが、大きな力に縛られている……素直になれ、与一……そういう大きな存在を感じて震えながら生活するのが好きなんだろう?」
やさしく赤子をあやすように、泣きじゃくりながら果実を食らう与一の背中を、義経の手が撫でた。
「そう、それが那須与一だ。あのころと同じ、弱い、弱い与一……」
義経の心は喜びでふるえる。自分の手によって落ちていく与一はあまりにも愛らしい。
――満月の美しさに惹かれて一人、外へ飛び出した与一。
そこにいたのは義経だった。『知恵の実』なる甘い果実を無理矢理に口にさせられる。
――それは投げ入れられた『不和』
少しずつ変わりゆかざるを得ない、廃城組の関係。
ふんわりとただようのは、あの甘い香り。幻の名残。青い月光をはじく闇色の誘惑。
「ひ、拾っちゃだめ!」
与一が止めようとしたときには、もうすでに遅かった。豊久の手には、与一のかじったあの果実が握られていた。
「おう、一人でこげなうまそなものを独い占めするつもいじゃったか。しかし……良か香りじゃの……」
くんくんとにおいをかいで、口だけニヤリと笑って、かじりつこうとする。与一は手だけさしのべて、止めることができなかった。
それは善悪の知恵の実。もし、もしもこの純粋そのものの豊久が食べればどうなるんだろう。豊久も、与一と同じ悲しみを感じるのだろうか。与一と同じように不安を抱き、与一にすがりついてくれるだろうか。体の底から立ち上った悪い考えに身を震わせる。
……豊久の泣き顔がみたい。ひれ伏す様が見たい……。
その頬の中で咀嚼される果実、与一の感じたものと同じ甘みを感じて……豊久はどう変わるのだろうか。じっとその表情を見つめる。
しかし、豊久はただ美味そうに、咀嚼するだけだった。年の割に純粋で幼い表情を見ていると、罪悪感が沸いてきた。義経とのやりとりを思い出して、与一の背筋に寒気が走る。これでは義経と同じじゃないか。反射的に叫んだ。
「だめっ!それ以上食べないでっ!」
しゃくり……ためらいもなく豊久はその果実を咀嚼した。
「ないじゃ……こいは初めて食もっ実じゃ……甘くてうんまか!」
「だめ……食べちゃ……だめ……」
顔を青ざめさせて、豊久の手からもぎとった果実を握り、ふるえる与一を見て、豊久が腰に手を置いてため息をつく。先ほどから様子のおかしい与一を問いつめようとするようだ。
「……この実が、ないじゃ?」
ぺろぺろと果汁のついた指をなめる。
「……ど、毒があったら……どうするの?し、知らないもの食べちゃいけないじゃない……」
ふるえながら与一はようやくそれだけ口にした。
「おかしなことばかり言いおるの。このかじった後は与一のもんじゃろ?毒があれば、おまあが先にけ死んどるじゃろが」
首を傾げながら、与一の頭の上にポンっと果実を乗せた。
「豊久がかじった後に、僕が死んだらどうするの!」
豊久は与一の思わぬ剣幕に驚いたように、後ろに引いた。
「あ、ご、ごめん……」
ああ、やっぱりあの人にからかわれたんだ。からかわれた後に、こんなにも心を痛めるなんて……遅効性の毒そのものだ。叫んだあと、泣きそうになるのをこらえながら、息も絶え絶えに与一は言う。
「……ねぇ、お豊、僕たち元の時代に帰れるかな……」
与一は豊久の顔を見上げた。彼らはこの国を盗ることを第一に考える。元の世界へ帰るという考えは最初からみじんもない。
「おまぁは、そいでいいのか」
豊久の表情は動かなかった。
――信長に王になれと言われても首を縦に振らない豊久。
各村の合議制にこだわる理由と、彼の国づくりの展望は?
――王と権力、うまく伝えられない気持ちに混乱する豊久と、
義経との関係に迷う与一。二人でいる時間が癒しだった。
「……こ、興奮、する?」
与一はニッと笑いながらこちらを見る豊久の視線に、昂ぶりを隠せない。視線でなぶられると肌が赤く染まる。
「与一は見られているだけで興奮するのか?」
しばらくの無言にはずかしげに目を泳がせる姿、だんだんと恥ずかしげに内股になる脚に、先走りがつぅっと筋を作る。
「う、うん……もう、体すごくキュンキュンする……でも……豊久、こんなの……楽しい?」
頬を染めてもじもじと申し訳なさそうに、ぷっくりしたくちびるを開き、おずおずと話す。そのたびにピクンピクンと下半身が反応している。普段は強気で、自分から押し倒してくる与一の受け身な姿を見るのも、なかなか楽しい。
「俺は、さわる方が良か」
望む答えに、与一の目がキラッと輝いた。そのまま小走りに椅子に座ったままの豊久の膝に、笑いながらよじ登る。そして、耳元にささやく。与一の手が、豊久の腕を腰に回させた。
「ね、ねぇ?僕、お豊に見られてピクピクしてた?……ねぇ、ぼくの体……ちょっとくらい、かわいいと、思った?」
「ないじゃ、おはんは自分の事、もぜ(かわいい)ち思われたいのか?」
与一は恥ずかしそうにしがみつく。
「……お豊には、ね?」
そういって目を細めてほほえむ顔は……最高にかわいらしい。食ってなくならないなら、そのやわらかなほっぺにかぶりついてやりたいくらいだ。
「ふともも、もうぐっしょりだよ……」
「ああ、とんでもない変態だの」
もじもじと豊久の体にしがみついて、恥ずかしそうに言う。
「豊久のでっかいマラもねぇ、僕の裸見て、ピクピクしてたよ……」
与一の腰に熱い手が回されて、するすると腰の稜線をなぞる。尻の膨らみを鷲掴み、グっと開いた。いつもよりせっかちな動作に、与一は胸をときめかせた。
「じらさないと、お豊はちろーだから……僕が大変なんだ」
二人の間に漂う空気は雄のにおいで満ちて、妙に生ぬるい。
「……せからしか」
「……にひー……」
――二人で、それぞれが見つけ出した答え。
それを持って、それぞれの戦場へ向かう。
「いや、ありえなくね?各地に部下配置して、後は好きにやってねーって……おまえ……うまくいくわけ、なくね?だって、人っちゃ裏切るだろ?だから……そのために俺は……」
豊久は、それ以上の説明は不要だと言い、ふんぞり返って地図を見下ろす。
「薩州はこいでうまくいっとったんじゃ」
「いや、人外魔境のことじゃん」
いやいや、ありえない。家族にさえ何度も裏切られてえっらい苦労したというのに、その人間たちを信じて、大勢で国を治める?
「狂ってるよ!」
思わず信長は叫んでしまった。
◇ ◆ ◇
いつものように暗がりに笑いまじりの皮肉げな少年の声が響く。
「よぉ、えらくご機嫌じゃないか」
だけれど、声の主の額はひきつり、どうも不機嫌そうだった。
「会いたい人に出会えたら、誰だってうれしいものでしょう?」
かの主の前で体を揺らして立ち止まる。つられて揺れるまとめ髪。今日の夜の鳥は樹上にいなかった。同じ大地の上に、足を着けていた。背後には血を騒がせる満月。世界をのぞき見る巨大な眼球がまたたいている。
「会いたいだって?ふざけないでくれる?誰よりも僕を嫌っていたのは誰さ」
義経は目を伏せて、無表情にそう答えた。
「僕、ようやく答えが見えたんです。僕のしたい事、そして、どうして僕が豊久に惹かれるのか」
いつの間にこいつは、こんな口を叩けるようになって戻ってきたのだろう。義経は舌打ちをする。
与一が考えに考えてたどり着いた答え。どうして与一は世話を焼くことに喜びを感じるのか。それは、一番大事にしたかった人なのに、彼を最後の最後に突き放してしまった後悔。
「最後までお供をせずに……申し訳ありませんでした」
――そして邂逅。
「ただし、僕はおまえを殺すし、そいつも殺す」
義経は、与一の耳元にささやいた。
「僕と与一は違うんだろう?認めてやるさ。僕は与一と違う。あんな頭悪そうな奴が一人来たからって、僕は絶対に変わらない」
与一はただ、遙か遠くの豊久を真っ直ぐに見つめている。
二人と朱の侍の間には風が吹き砂塵を巻き上げた。
細身の片手剣が与一の肌を貫いて、ぷつりぷつりと肉の筋を切っていく。与一は汗一つかかないし、うめき声すら上げなかった。
「僕を幸せにしたいだって?なら、あいつを射殺してみろよ。おまえの泣き叫ぶ顔を見せろ。そうしたら昔みたいに僕の気持ちも晴れるだろう」
しかし、与一は意外にもうなずいた。そして、迷いなく弓を構え、冷静な心で矢をつがえ、豊久を狩人の目でにらみ据えた。
「俺には自信があるんじゃ。土方とかいう未来の敵将は、薩州のやり方が正しいち、俺に示してくれた。薩州どころか、島津のお家が何十年、何百年先か知らんが、まだ存在しちょるち教えてくれた」
どれだけ歴史が積み重ねられても、向こうの世界に島津がいる。そのやり方が確かだからこそ、島津はそこにある。豊久の魂は、遥か故郷を思って燃えている。
「にひひぃ!それ聞いちゃったら、何がなんでも僕、島津豊久派だからね!」
きらきら輝く与一の笑顔に、豊久はためらったようにうなった。
「それは、豊久にしか作れない楽土だから!」
権力すべてを取っ払って、平行な世界になったならば、与一はずっとずっと、この大きな大将の隣で……その楽土をともに生きたい。
拳を握る。そのためには、与一はさらに強くならねばならない。
「負けてらんない!」
「おう!俺も負けんぞ!」
豊久は与一の握った拳に、大きな拳をぶつけた。