平家物語歴史館を後にして、八栗駅へとやってきました。
ここが一日目の二つ目の楽しみ、
源平・与一の史跡巡りの舞台なのです。
この八栗駅から徒歩で11分ほどのところに
「与一公園」があり、
公園の周囲には
「祈り岩」「駒立て岩」という
与一ゆかりの史跡がかたまっています。なので公園を目印にして向かうことに。
その途中にはあの有名な
「義経の弓流し」があるらしいので
ここもぜひとも抑えておきたいなぁという願望でした。
もっと以前の予定では、
四国旅行JR四国ツアーの
ウォークマップを参考に与一公園周辺を歩くつもりでいましたハイ。
ところが実際にグーグルでもヤフーでもなんでもいいです。
地図を出していただけるとわかるのですが、
屋島駅をスタート地点にして歩くと、
与一公園あたりだけを散策すると考えても、
なんと二駅分くらい歩かないといけないことに……。
地元のあろえさんもそれはないと笑っていらっしゃった。
(本当にみささんがご友人を連れてきてくださらなかったら妄太郎死んでた)
実際に八栗めざしてタクシー乗ってるときに風景を見ていたら、
「ああ、ちゃんと実際の地図見てよかった……」と思うのでした。
途中で屋島寺みつけたので、今度は屋島寺も行きたいなぁと思います。
源平の頃の旗とか残ってるらしいぜ!
ちょっと道を行きすぎて、最初に到着したのが与一公園でした。
地図見るとすごーくココっぽいんだけど、
なーんの表札も彫刻もない!ない!ない!
そもそもここは、ながーい並木道が続いているだけ。
そして、道路の向こう側にも小さな四角い公園があるのですが、
これまた表札もなーんもない。
「え?え?与一公園ってどれ?なに?」なんて言って、
草ぼーぼーで入るのもためらわれる小さな空地?に潜入。
奥の方にはどうやらため池っぽいものが。
その両側には俳句の書かれた二つの石碑。
「あれ?これってもしかして扇の形……してる?」
これが扇の形なら……ここが与一公園で間違いなさそうだ!
↓並木道の公園?の形が地図で言う与一公園っぽいんです。
たぶん噴水の公園とセットなんだと思う。
上から見たらこういう感じ?
正直、本当、なんもない。あ、並木道の公園にある■は公衆トイレです。
荒れ果てた与一公園にがっかりしながら道を歩いていると、
今度はなんと、与一が立って扇を射たと言われる、
「駒立て岩」の案内が見えました!
手前にあるのが「祈り岩」の
レプリカ。
ホームページで見た通り、案内の石碑に、
本当に「レプリカ」って書いてあることによくわからない感動を覚えながら駒立て岩に向かいます。
なんというか、丁度いい具合に潮が引いている!!
小さなカニさんとかがいましたが、ご丁寧に
階段があるってことはあんた……乗っていいんだな!!??
そして妄太郎は与一が駒を立てたという岩に乗って、
そこから「的」のあったと言われる距離にある風景を堪能。
感想としては、思っていたより近い?という印象。
でも弓で射る力量とか、的が波に揺られた小舟にある小さな扇だとか、
いろんな難しい要素があるのが与一の挑戦した舞台なのであります。
(
歴史群像の源平の本に載ってた記事の抜粋)
なんか、そんな場所と言われてるところに行って、
偶然にも岩を見るどころか、乗れたのは個人的にはものすごい感動でした。
これが……史跡巡りの醍醐味なんだなぁ><、
迷いまくったけど、本物の祈り岩も見れました。
駒立て岩からはそんなに距離がありませんでした。
頭がいっぱいいっぱいでできなかったけど、
祈り岩で祈ってから駒立て岩に行くという
与一が経験したルートを辿るのも簡単なはず。
ちなみにこれは与一橋。波をイメージしているらしい。
ついに発見、
本物の祈り岩!もうすでにお祈りをした人がいるらしく、御賽銭が上に置いてありました。
弓道部の部員さんたちが与一をしのんで置いたりしてたらロマンチックだなぁ。
私もちょっとだけお賽銭を置いてきました。
牟礼町は「庵治石」の産地で、石匠さんのお店がいっぱい。
あちらこちらで石の彫刻が目に留まります。
ちなみに上の写真は「祈り岩」から「義経の弓流し」に
向かう途中で見つけた洲崎寺の壁。
源平の史跡に向かう道々には必ず案内の石碑が置いてありますので、
非常にわかりやすい!
この町は本当に石が大好きだし、誇りなのだなぁと……。
ちなみに「義経の弓流し」は豪邸の横。
駅についた時に発見した、「
むれ源平 石あかりロード」
の展示品だと思われる案内看板。美しい。
次回は二日目「大山祇神社へゴー!の巻」でお会いしましょう!