私が達淳達小説を昨日も今日も明日も
ハァハァしながら書くわけを考えてみた。
何回も言ってるかもしれない。それは自分のブログを振り返ったりしないから。
それじゃあだめだと思ったから「語り」なんていうカテゴリ作ってみたwww
妄太郎の脳みそ晒しですwww
ちょっと自分のブログさかのぼってみたけど、
多分書いてないと思うから書きますけどwww
そもそも私が小説を書いて、表現をするようになった理由は
「達哉と淳を幸せにしたいから」
だったりします。
ので、ペル2罪罰は期間は限定されてるわ、達淳達的にはほとんど
罰は接触はないわ、達哉のその後ははっきりと明言されていないわ、
ニャルラトホテプ不死身だわ最凶だわ……
達哉では敵わんだろうし……
はっきりいって達哉と淳が幸せになれる可能性ってすっごく低いと思います。
っていうか、ほとんどの人はそれを理解したうえで達哉と淳が好きだと思います。
私もそうです。
でも自分で小説を書くようになって、
そのうえハッピーエンド主義なんて言うのを看板にしてwww
(えぇ、SMと女装も妄太郎の看板ですwww)
いろいろ書いているうちに、達哉と淳の関係性について模索するようになりました。
達哉ってどんな子なんだろう、淳ってどんな子なんだろう。
でも、だんだんとその模索の方がメインになってきて、
肝心の達哉と淳を幸せにしたいという気持ちが薄れてきて、
ハッピーエンドっぷりもギリギリになってきた気がしますwww
まぁ、実は達淳やる前にエロゲにハマってたんですけど
ニトロプラスのスマガ(R-18)っていうゲームあるんですけど、
そのゲームの内容って記憶喪失になった主人公が、何度死んでも
蘇ってははヒロインたちとのハッピーエンドを目指すっていうもので、
根性論とか、どうしようもない悲劇っぷりとかが好きな人はハマると思いますwww
エンディングは…私はスマガもスマガスペシャルもどちらも好きですwww
詳しくは語らないけど、かなりペルソナ2っぽい設定が多いと思うwww
このスマガっていうゲームで、何度悲劇を迎えても、
必ずハッピーエンドにするって決めて努力する姿って
なんて素晴らしいんだろうって教えてもらいまして…www
この感動がそもそものハッピーエンド主義の始まりだったりするんですが…。
今思えば、私の初期作品の方が希望でキラッキラしてますよねwww
今の私の作品が、それを忘れかけた姿だと思います。
そのせいで思い悩んだり苦しんだり、アホのようにそれを繰り返して…
もう二度とこんなアホな反省するものかとwww
自戒の為にこの記事を書きましたwww
だから、私が達哉と淳で、これが最後の作品ですって言ったときは、
自分なりにペルソナ2を舞台においての、初戦はパラレルだけれども、
「私なりの二人のハッピーエンド」の形が見えたのだなと
思っていただければ幸いです。
何度死んでも、何度蘇っても、二人手を繋いで、
絶対にニャルラトホテプに負けない、
そんな二人が書きたいなって思います。